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テーマ別関連資料の紹介

環山楼

環山楼は享保年間(江戸時代中期)、八尾寺内村の豪商であった石田利清が設けた庶民のための私塾です。

当時は8代将軍吉宗の時代、幕府の奨励もあって儒学熱は広く庶民にまで及び、河内周辺でも大阪の懐徳堂や平野の含翠堂など町人のための私塾が相次いで開設されました。

享保12年(1727年)、当代一流の儒学者であった伊藤東涯が含翠堂に来講したおり、請われて八尾を訪れ、石田利清の別荘で講義をしたのが機縁となり、この別荘は以後私塾として使用されるようになりました。東涯は享保15年(1730年)、再びここを訪れ、周囲に山を巡らせた景勝の地にたつ学舎を“環山楼”と名付け、扁額と“環山楼記”という一文を贈っています。

この後環山楼は、およそ半世紀にわたり、八尾をはじめ近郷の学問の拠点として重要な位置をしめますが、石田家の衰退とともにいつしかその役割を終えます。

現在、市立八尾小学校の敷地内に移築されている環山楼の遺構は、近畿大学の櫻井敏雄助教授(移築当時)の指導のもと、昭和56年より1年をかけて解体修理され、ほぼ創建当時の姿に復元されたものです。


環山楼 開館日時
毎週水曜日・土曜日(年末年始を除く)及び、祝日(3月から11月)10時から16時

資料(書名のアイウエオ順)

資料について
書名 著者(編者) 出版者(出版社) 出版年
扇屋甚三郎 環山楼創設を導いた人(河内どんこう86) 坂上ひろこ やお文化協会 2008
「環山楼記」と「環翠楼」記(河内どんこう60) 坂上ひろこ やお文化協会 2000
環山楼今昔記(河内どんこう29) 熊又賢 やお文化協会 1989
教育施設の建築的研究
私塾・環山楼の調査研究を中心として
櫻井敏雄
松岡利郎
八尾市教育委員会 1983
八尾の学塾舎 環山楼主 石田家資料 坂上ひろこ 同左 2002

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