テーマ別関連資料の紹介
義民・西村市郎右衛門と講(功)念仏踊り
宝永元年(1704)10月、大和川の付替え工事が完了し、旧川筋の村々は、永年の洪水禍からようやく解放されました。
ところが皮肉なことに、今度は水不足という新たな災いが、農民たちを待ち受けていたのです。なかでも、付替えで水源を断たれた平野川(了意川)流域の村々は、日照りのたびに深刻な事態に陥りました。
正徳4年(1714)、河内一円を厳しい干ばつが襲い、稲苗が枯死寸前にまでなったとき、弓削・田井中・太田など流域の二十数ヵ村は、奉行所に水路の新設を願い出ました。しかし、いっこうに幕府の許可は下りません。
弓削村の庄屋・西村市郎右衛門は、意を決し、みずからの責任で新大和川の堤防を切り、青地と井出口の二ヵ所に樋(水を引くための管)を設けました。平野川にはたちまち水が溢れ、田畑は蘇生し、村人の喜びはひとしおでした。はたして、幕府に背いたかどで市郎右衛門は捕えられ、大坂城内で獄死したといわれています。
大正5年、弓削の村人たちは、市郎右衛門の功を讃え、その事績を後世に伝えるため、顕彰碑を建立しました。これが今、JR志紀駅の南に建っている『西村市郎右衛門頌徳碑』です。
また志紀地区には、昭和の始めまで、ある素朴な踊りが伝えられていました。『講(功)念仏踊り』と呼ばれているもので、鉦(かね)や太鼓の音に合わせ、念仏を唱えながら、若い男女が輪になって踊るのだそうです。これは、市郎右衛門の死後、その徳を偲び、霊を慰めるために、村人たちが踊り始めたものだということです。
現在、志紀地区では、人々の熱意と努力により、この念仏踊りが再現され、次世代へ確実に受け継がれようとしています。
資料(書名のアイウエオ順)
書名 | 著者(編者) | 出版者(出版社) | 出版年 |
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河内音頭と古念仏おどり(河内どんこう2) | 西辻豊 | やお文化協会 | 1976 |
河内望郷歌 | 佐々木幹郎 | 五柳書院 | 1989 |
「講念仏踊り」復活しよう (八尾まちづくり 政策情報誌 2号・3号合併号) |
坂上弘子 | 八尾市民自治研究所 | 2005 |
こねんぶつおどり | 山下マユミ | 2004 | |
志紀の功念仏踊(河内どんこう20) | 大森靖彦 | やお文化協会 | 1984 |
田井中郷土史 | 田井中郷土史編纂実行委員会 | 田井中地区連合自治会 | 1996 |
風土記 田井中周辺 | 堀内末一 | 私家版 | 1980 |
弓削村庄屋 西村市郎右衛門 (河内どんこう73) |
坂上ひろこ | やお文化協会 | 2004 |